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似非コミュニケーションから脱却できないという話

高校の同級生に会った。

八月にしてはかなり涼しい夜で、這々の体で期末試験を終えたばかりの僕はなんとなく外に出てみたものの特に目的もなく、結局通りの端に佇んでスマートフォンをいじっていたところを通りがかった彼に話しかけられた。
同じ年度に同じ大学に進んだ同期でもある彼は既に学部を卒業し、大学院に通っていた。会うのは2年ぶりくらいになるだろうか。早速盛大にどもってしまった。

「誰か待ってるとこ?」今から帰るところだ、と答えた。
「今…5年生?」そうだけど、休学してたので実質4年目なんだ、と苦笑しながら冗談めかして答えた。
そうなんだ、と彼は少し真面目な顔になった。

会話はそこでほぼ終わってしまった。僕は久々に会った旧知に何を話せばいいのか皆目分からず、彼も彼で僕にどういう話を振ればよいのか倦ねているようだった。

中高時代の知り合いとうまく話ができなくなった。厳密にはできないということに後になって気づいた。
相手が話を振ってきてもうまく乗れないし、自分が話を振っても相手が乗り切れない。普段サークルでなまじうまくやっているせいか、こういう時はいつも自分のコミュニケーション不全を痛感する。
とはいえほんの数年前まで、僕自身は高校や中学の同期と(多少の例外はあるにせよ)それなりにうまくやっていたと思っていたのだ。
あれはクラスというコミュニティにいたからこそ成立していた似非コミュニケーションであって、高校を出て大学という人の海に裸で放り出されると、もともとが同じコミュニティの構成員であっても残酷なまでにコミュニケーション能力の差異が表出する。その結果が彼と僕の差異なのだろうなあと今になって思う。根本的に気づくのが遅い。
高校の頃、休日はおろか放課後に誰か同級生と遊ぶことなんて殆どなかったし、誘われることもなかったし、誘うこともなかった。僕は教室という狭い範囲でへらへら笑っていただけで、そもそも仲なんてたいして良くなかったのだ。


「じゃあ俺、急いでるから。」
当たり障りのない会話をいくつか交わした後で彼は爽やかに笑って言った。僕はそれが話題に窮した会話を切り上げる手段の一つだと知っているし(不本意ながら僕もたまに使う手だ)、聡明な彼もそれは分かっていることだろう。

僕はおぼつかない口調で「あ、うん、じゃあ、また」と返して、彼の進行方向と逆に歩きだした。本当は彼と同じ方向へ向かう途中だったのだけど。


大学に進学してから内外で関わる人の数が飛躍的に増えたけど、今でもうまくやれてる(少なくとも僕はそう思っている)のは所属してるサークルの友人くらいのものだ。
ただ僕だっていつかは大学を卒業するわけで、その時、つまりその「うまくやれてる」コミュニティから出た時、僕はサークルの友人たちともそれまで通りうまくコミュニケーションをとっていけるのだろうか。っていうかこんなんでちゃんと就職できるのか。バイトとはわけが違うんだぞ。「ちゃんと大学を卒業できるのかどうか」に次ぐ不安要素だ。

帰り際、そんな感じのことを考えながらすた丼にチーズをトッピングしてかき込んだらお腹痛くなった。重いことを考えながら重いものを食べすぎた。
(すた丼店員的な体育会系メンタリティをどこかで身につけていたら今頃どうなっていただろう、というようなことは思わないでもない)

マクドナルドの美味くもまずくもないコーヒーとdeath cab for cutieだけが僕に優しい……。